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龍を見た男 ( 藤沢周平 )

 藤沢周平著『龍を見た男』を読んだ。
 結末に描き出される主人公の心情が見事。その心地よさが格別な9編。


 お気に入り度:★★★★★

 武家、市井の人々の哀歓を味わえる短編集。
 物語は非常にシンプルであるものの、心をざわつかせるサスペンスが巧みで、知らず知らずのうちに主人公の気持ちになってしまう。そのあとに訪れる結末の心地よさは格別。とくに主人公の心情が伝わってくる文章が見事で、その味わいだけでも幸せを感じてしまう。
 9編の作品を読み終えても読み足りないほど、いい作品ばかりだった。

帰ってきた女

「おきぬの具合がかなり悪い」と鶴助は言った。
 鶴助は、藤次郎の店で働いていた渡り職人なのだが、藤次郎の妹おきぬをたらしこみ、おきぬとともに姿を消した男である。
 藤次郎は縁を切った妹だから放っておくと言ったが、子飼いの職人の音吉は、昔から気の合っていたおきぬのことが心配でならなかった。

 家に戻ってきたおきぬ。つきまとうやくざ者の鶴助。おきぬを心配する臆病な音吉。
 これらから想像できる結末はありふれたもの。しかし音吉の気持ちを綴った文章がたまらなく心地よい。

 

 駒止橋の近くまで来たとき、買ってきた材料を柳の根もとに置いたままだったことに気づいたが、明日の朝取りにもどればいいやと思った。あたたかくしめっぽいおきぬの手を放すのがいやだった。

おつぎ

 三之助は、仕事仲間の寄合いで、幼い頃に一緒に遊んだおつぎを見かけた。
 三之助には悔恨がよみがえり、そのために、おつぎと一度会わなければ気持ちがおさまらないという気がしていた。
 子供のころ、おつぎの祖父は強盗の疑いで捕まった。三之助は、その疑いを晴らせる人影を目撃し、訴え出ることをおつぎに約束したのだが、真犯人の仕返しを恐れた母親の言葉に三之助もふるえ上がり、番屋に行くことを断念していたのだ。
 そして、三之助が裏切りの後ろめたさからおつぎに会わないでいると、やがておつぎは町から姿を消した。

 父の残した借金を抱える三之助の畳表問屋。
 店のために素行の悪い噂が絶えない大店の娘を取るか、また合う約束をしたおつぎを取るか。
 その決断の場面は、映像だけでなく、三之助の悔恨の気持ちまで伝わってきて、藤沢周平を読む理由はこれなんだとあらためて思った。
 それにしても、おつぎが町にやってきたときの様子や、おつぎが川浚いをする祖父をただ見つめる様子の描写がとてもいい。

龍を見た男

 漁師の源四郎は、ひたすら自分の力だけを頼んで生きてきた男である。
 嵐は細心の注意で避けられる。そういう用心を忘れて神仏に願っても仕方がない。そう思っている源四郎は、信心深い漁師仲間を腹の中で笑っていた。
 その男が妻に連れられて龍神を祀る善宝寺にやってきた。甥の寅蔵を一緒に出ていた漁で亡くし、心が打ちひしがれていたからである。
 それでも龍なんかいるもんかと思っていた源四郎だったが、二匹の龍が身を隠したという池につくと、二十数年にわたる漁師としての勘が、魚以外の巨大なものの気配を掴んだ。

 漁から帰ろうとしたとき、霧が立ちこめる夜の海に漂い、恐ろしい速さで潮に運ばれていた源四郎。
 初めて底知れない恐怖に包まれた源四郎が頼るのは、自分の力か、それとも神仏か。
 どのように龍を登場させるのかと期待して読んだが、そこに違和感はまったくなく、すでに源四郎と一緒に、霧の立ちこめる真っ暗な海を流されている自分は、それを見たとき、鳥肌が立った。

逃走

 小間物を売り歩く銀助は盗人である。売り歩きながら家々に目を配り、目星をつけた家の様子を探るのである。
 しかし、新しくやってきた北本所は、案の定、くたびれもうけだった。
 神田橘町でひと仕事したあと、まむしの権三と呼ばれて嫌われている岡っ引と鉢合わせし、職人の身なりだった銀助は疑いを持たれた。それ以来、権三に付きまとわれ、しかたなく河岸を変えたからだった。

 しつこく付きまとう権三への仕返しが面白い。
 しかしその仕返しも、一つの命を救うものだし、権三の女房も嬉しそうだし、困るのは権三一人だけ。
 権三に一泡吹かせたユーモラスな結末が爽快だった。

弾む声

 妻の満尾が、また外に気を奪われている。
 そういう妻をたしなめる助左衛門も、実のところ気になっている。
「おせーきちゃん」と隣家の女の子を誘いに来る、元気のいい、弾むような声が途絶えて十二日にもなる。
 隠居し、いまの家に越して来て一年、夫婦は毎朝聞こえてくる弾む声を楽しみにしていたのだった。

 女の子の事情をしった夫婦の、いてもたってもいられない様子が微笑ましい。
 全体的にユーモラスでありながら、夫婦の寂寥が痛いほど感じられる作品で、物語の最後に夫婦の気持ちを表した言葉が、とても印象に残っている。

「厄介な荷物を背負い込んだものだ」
 助左右衛門はグチを言った。心の荷物だったが、それはおそろしく重かった。だが、グチを言いながら、助左右衛門も灰色の隠居暮らしの日々を、ただひとつ明るく染めた、弾むように元気のいい声を、胸の底で聞いていたのである。

女下駄

 下駄職人の清兵衛は、卸先の手代から、女房のお仲が若い男と親しそうに歩いていたことを聞いた。
 前の妻を亡くした清兵衛と、やくざ者の亭主と別れたお仲は、一緒になると、お互い昔のことには触れず、いまがよければそれで十分と思って過ごしてきた。
 ところが手代の話を聞いた清兵衛は、お仲が手の届かない世界へ逃げかけているような、心ぼそい気持ちに襲われるのだった。

 手代の一言で、女房の過去が気になりだし、疑心暗鬼になった夫の不安を描いている。
 それにしても、女房にやるつもりでいた、一番はじめに仕上げた桐下駄を捨てないでよかった。
 清兵衛の拍子抜けした後の安堵の様子が、頷いてしまうほどリアルだった。

遠い別れ

 老舗の糸問屋も、あと十日で潰れてしまう。
 新太郎の借りた百両は五百両に膨れあがり、十日後までに返済しないと、家を明け渡さなければいけないのだが、金の当てはない。
 そこへ、昔捨てた女のおぬいと偶然再会した。そしておぬいは、うちの旦那に話せば、無利息で肩代わりしてくれるかもしれない、と言った。

 捨てた女が商いで成功して目の前に現れた。しかも借金を肩代わりしてくれるという。
 捨てた女の慈悲にすがるか、家を明け渡すか。
 逡巡した末に新太郎が出した結論は、意地ではなく男の矜持なのだが、女性にはただの意地っ張りにしか思えないかもしれない。
 収録の作品中、唯一もの悲しい結末の作品。

失踪

 ぼけ気味の義父芳平がいなくなった。
 どこを探しても見つからず、おとしが途方に暮れていると、ここのじいさんをあずかっている、という目つきの鋭い男が現れて、金をよこせと言ってきた。芳平は拐かされていたのである。
 しかし、それを聞いた夫の徳蔵は、「うちのじいさんじゃ、こっちはそう高い値はつけられないね」と不謹慎な笑いを浮かべて言うのだった。

 ぼけ気味で寝小便をたれる芳平を拐かして金を要求する方は、どう考えても分が悪い。
 さらわれた方は世話をする必要もなくなって、芳平がいなくてもべつだん困らない。
 それでも親だから、話をつけて引き取ってくる。
 そういう不謹慎かもしれないが、同じ状況なら誰もが考えてしまう物語のなかに、忙しく店を商う徳蔵とおとしの夫婦関係や、徳蔵の意外な強かさがユーモラスに描かれていて、非常に面白かった。
 なのに、帰ってきた芳平のなんとも憎めない様子が妙に印象に残っている。

 おとしは芳平に駆け寄った。手を握って、おじいちゃん、無事でよかったね、と言うと、芳平は、へ、へ、へと笑った。おとしの顔も忘れたのか、こんばんはと言った。

切腹

 親友だった榊甚左衛門とまじわりを絶って二十年。
 丹羽助太夫は甚左衛門が腹を切ったことを聞いた。
 甚左衛門が郡代として指揮していた新堰工事が失敗に終わり、工事費用に不正の噂が立ったのだ。
「甚左が、不正を働くわけがない」
 これには必ず裏があると思った助太夫は、旧友のため真相究明に奔走するのだった。

 感情的な助太夫と理性的な甚左衛門。二人の性格は正反対で、普段は会えないと寂しくてしかたないのだが、ぶつかれば目も合わせない。そういう男同士の関係を描いた作品。
 すべてが解決し委細を語った助太夫に、甚左衛門の妻女が言った言葉が、その関係の複雑さを物語っている。

「それほど甚左衛門のことを思ってくださったのなら、生前にどうして仲直りが出来なかったのですか」
 助太夫は憮然とした顔で、その非難を聞いた。助太夫にも、なぜ仲直りが出来なかったのか、ほんとのところはわからなかったのである。

 郡奉行の話が持ち上がったとき、自分の任ではないと、甚左衛門を推した助太夫。
 助太夫が上司と衝突し、討手が来るかも知れないと身構えていたとき、その身分と命を捨てて駆けつけた甚左衛門。
 すでにまじわりを断っていながら、心の底では互いに思っている。
 助太夫がまじわりを断つことを甚左衛門に告げたのは、無意識に決定的な決別を避けるためだったのかもしれない。

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星新一と藤沢周平中毒者。
ミステリー・サスペンス、ホラー、歴史人物、ユーモアなど幅広く読んでいます。

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