宮部みゆき著「孤宿の人」を読んだ。
悪霊と恐れられる男によって、一人の無垢な少女が真の人生を歩み始める。悲しくも暖かさの滲む時代小説。
宮部みゆきは、『書き上げるまでにもっとも苦労した作品は?』という質問に、この「孤宿の人」を挙げた(ダ・ヴィンチ2008年9月号掲載)。確かに、宮部作品の魅力である、綿密に編まれたミステリーや、起伏のあるストーリー展開を期待して読むと、肩すかしを食らう。かといって、うまく書けていない印象はない。むしろ「クロスファイア」のような、念力で火をつける能力を持った少女の苦悩と、居場所を求め彷徨う悲しさ寂しさを描きつつ、主人公の心を救う暖かさの残る作品に近い印象を受けた。
本書は、多くの人が理不尽に死んでいく悲しい物語であるが、人間として真の人生を歩き始める、無垢な少女の姿を照らし出した、暖かさの滲む作品である。
物語の舞台は、将軍家斉の治世における、瀬戸内海に面した讃岐の丸海藩という架空の藩。丸海藩は、雷害の多いこの地域において、丸海を守護する日高山神社が人々の心の支えとなっている平穏な土地である。この静かな土地に、二人の人物がやってくる。
一人は、奉公先から金比羅代参に使わされたものの、丸海に置き去りにされた九つの”ほう”。もう一人は、江戸で部下を斬殺し、妻子を毒殺して丸海藩に流罪となった元勘定奉行の加賀様である。
人々は、非道な所行の加賀様を悪鬼と恐れ、また悪い噂の絶えない涸滝屋敷が彼の幽閉場所となった因縁、丸海を襲う病や災厄に、悪いモノが放たれたと恐れおののく。そしてほうは、頓死した女中の代わりとして、恐ろしい涸滝屋敷に送り込まれてしまう。
物語は主に、女引手・宇佐、藩医跡継ぎ・井上啓一郎、同心・渡部一馬の三人が見た、鬼の加賀様の幽閉に始まる丸海の人々の恐れや混乱のありさまと、この三人の怒り、逡巡、後悔、感傷といった心理描写で進められる。そのため物語の起伏に乏しく、中心人物であるほうと加賀様の場面も少なく物足りなく感じる。しかし彼らの視点こそが、この騒ぎの裏に隠されたやりきれない真実を浮かび上がらせ、物語の背景を、丸海藩の全体像を形成しているのである。
さらに、この喧騒に満ちた物語の背景は、無垢な少女ほうと、悪霊と恐れられる加賀様の触れ合いを、人の思惑や恐れなどと無縁な聖域に高め、阿呆の『呆』と揶揄された少女の、人間として真の人生を獲得していく姿を、暖かく照らし出しているのである。
この作品には、確かに苦労の断片が散らばっている。しかし加賀様が、人生を獲得したほうに『呆』ではなく『宝』の字を与えたように、宮部みゆきは、苦労して書き上げた「孤宿の人」から『宝』を得たに違いない。
・ダ・ヴィンチ2008年9月号 特集「宮部みゆきをよみつくす!」の記事
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| by G-Tools , 2011/2/16 | ||