藤沢周平著「海鳴り」を読んだ。
灰色の道に開いた花が人生の力となる。
「ふるさとへ廻る六部は」に収録のエッセイ【新聞小説と私】で、「海鳴り」を、『むかしは命がけの行為だった密通をテーマに、人間の愛と人生の真相をさぐってみたいという意気込みがあった』と藤沢周平は語る。しかし、所帯じみて花に欠け、読者には喜んでもらえないと感じていたところ、意外にも女性読者からの反響があり、力づけられたと述懐する。
また同エッセイで名作「蝉しぐれ」を、書けども書けども小説が面白くならないので、苦痛で仕方なかった。早く終わって欲しいと念じているのに終わらず、予定をオーバーして、ようやく完結した、と新聞連載当時を振り返る。予想通り、連載中に一通もファンレターが来なかったものの、一冊の本になってみると、人が言い、著者自身もそう思うような、読み応えのある小説になっていたそうで、新聞小説には、書き終えてみないと分からない性格があると述べている。
人の人生も同様に歩ききってみないと、その善し悪しの判断はつけられないと思うが、時には上述のエッセイで「海鳴り」について語ったように、人生を力づける思わぬ力が流れ込んでくることがある。
本作品の主人公・新兵衛も同様だった。
新兵衛は、紙の仲買人から紙問屋となる今日まで懸命に働き、女房子供を飢えさせることもなく、やってきた。しかし女房子供は有難がるどころか、それをあたりまえだと思う始末である。新兵衛は、あたりを見回すゆとりができたとき、妻と息子がついてきていないと気付いたのだ。そして人生に何か忘れ物をしたような気がした。
そんなある日、新兵衛は、酒を飲まされ悪酔いし、道ばたにうずくまる同業の丸子屋のおかみ・おこうを見かけ、介抱した。そして、おこうの素直さに触れ、彼女の美貌とともに惹かれ始める。
懸命に働き、あとは老い朽ちるだけかと思っていた人生に、突然咲いた花がおこうだった。
おこうと知り合ったことで、にわかに彩り始める灰色の道。しかし、密通は命がけである。その道の善し悪しは、歩ききってみないと分からないが、本作品を読み終えて、終わりよければ全てよし、という言葉が浮かんでくる。人も小説制作も、よりよい終わりに向かって歩んでいるという、ものの真相が見えた気がした。
ところで、結末が少々あっけないのが気になる。
光ある結末に比して、密通への強請、紙問屋、仲買人、漉屋(すきや)を巡る問題、息子の放蕩など、降りかかる困難の対応に迫られながら、人生に咲いた花を失わないよう綱渡りをする、新兵衛の苦闘が念入りに描かれているからだろう。
残念ながら、物語は、終わりよければ全てよし、という訳にはいかないようである。