藤沢周平著「闇の穴」を読んだ。
人生に口を開けた闇の穴。そこに落ちた者たちの顛末。
人生にぽっかりと口を開ける闇の穴。穴に気づかず落ちてしまう者、否応なく穴に落とされてしまう者、穴に魅入られ自ら足を踏み入れる者、さまざまである。人は闇の穴に落ちたとき、どうするだろうか。本書には、その疑問に答える、闇の穴に落ちた人々の姿が描かれている。
【荒れ野】と【夜が軋む】は、藤沢周平には珍しい怪奇譚。【荒れ野】は、福島のとある伝承を材にしていると思われるが、藤沢流に料理された物語は格別。
足軽・結城友助の妻はなえは、赤子を亡くしてから気鬱となっていた。しかし、高価な絹の生地を夫の友助から買い与えられ、実家の法事に着ていく着物を縫い始めると、以前の明るい妻に戻ったようだった。ところが、法事の三日後、はなえは川に身を投げた。
妻の死因を探るミステリー調の作品。きっちり始末をつける友助には感動させられるが、やり切れない思いに包まれる。
子を亡くした妻の深い悲しみを癒してやるには、どうしたらいいのだろうか。男には、子を失った女性の悲しみの根源を共有できないのが、もどかしい。
戌井朔之助は、妻とともに脱藩した佐久間森衛の討手を命じられた。佐久間の妻は妹の田鶴である。田鶴は、朔之助と同じ直心流を使い、幼い頃から気性激しく、討手が兄でも、夫が討たれるのを黙って見ている女ではない。朔之助は、兄妹同様に育った奉公人の新蔵を連れ、江戸へ向のだった。
朔之助を徹底的に嫌い、新蔵に心を開く、一見複雑な田鶴の心情は、優しく接してもらいたいという、一つの思いから生まれたものかもしれない。
2011年7月2日から全国公開された映画「小川の辺」の原作。
私が唯一、藤沢作品の原作にほぼ忠実で、いいと感じた「山桜」の監督、脚本が同じで、非常に期待している映画。
おなみの前に、五年前行方知れずとなった元夫が現れた。それ以来、何度も訪ねてくるようになった元夫は、用があるのかと聞いてもはぐらかし、薄笑いを浮かべて、そこまで来たから、ちょっと寄っただけだと言って、また帰っていくのだった。
突然訪れた災いの兆しに翻弄される夫婦が生々しい。この夫婦の立場になったとき、薄ら笑いを浮かべ、理由もなくやってくる男に、「もう来ないでくれ」とはっきり言えることができるだろうか。
女の子は、長屋の裏の雑木林に、椿の繁みにできた空洞を見つけ、『自分の家』だと決めた。そして、いつものように『自分の家』の中で遊んでいると、二人の男がやってきて言い争いを始め、やがて一方が殺された。男は去り、女の子は絶叫したが、舌は凍り付いたままだった。
殺しを目撃した女の子の描写が凄い。女の子の一人で遊ぶ孤独で淋しい姿と、目にした惨劇に恐怖し、声なき絶叫をする姿が、生々しく頭に浮かぶ。
男は、小名木川の岸で、駄々をこね、母親に置いていかれた女の子に声をかけた。女の子は置いていかれても平気で遊び始め、川に落ちないか心配したからだだった。しかし、男が女の子の手を引いて姿を消した翌日、女の子は遺体で発見された。
踏み入れてはならない闇の穴に魅入られた男の狂気を描く。この作品を書いているとき、著者も狂気を帯びていたのではないか、そう思えるほど、男の狂気がリアルだ。そう感じる自分にも狂気の種は内在するのかもしれない。
若い僧は、京から陸奥の寺へ、野原の続く道を進んでいた。越えると陸奥の国だと言われた山が正面に見える。二股に分かれた道を過ぎ、日が傾いて野宿を余儀なくされると、若い僧は、にぎやかな京を思い出し、すすり泣いた。そこへ、「もし」と百姓姿の女が声をかけてきた。
福島のとある伝承を材にしていると思われる怪奇譚。
同情と、「止めておけ」とそれを押しとどめる気持ちのせめぎ合いが沸き起こる。うなだれ、悲しみを見せる『それ』の背に、同情の気持ちが動くのは、『それ』の妖気のためだろうか。それとも、『それ』に本当の寂しさを感じたからだろうか。
上州塚原宿の飯盛り女による、身の上に起こった怪奇現象の一人語り。相手は逗留の男。
これから二人で布団に入ろうってときに、こんな話を聞かされちゃあ……。
実際聞かされると、尻込みするに違いない。