藤沢周平著「静かな木」を読んだ。
心身のリズムと幸福に呼応しあう幸せ。
お気に入り度:★★★★★
やっぱり藤沢周平の作品が好きだと思う。
本書に収録の三つの短編は、どれも短くシンプルな物語。
もはやこれで十分だと思う。
余計なものが省かれた文章の心地よさ。
心をマッサージしてくれる、丸みを帯びた喜怒哀楽の気持ちよさ。
繊細な心の動きが的確に伝わってくる比喩の巧みさ。
すべてが呼吸しているかのように、自然と自分の中へ入ってくる。
“狐”のペンネームで『水曜日は狐の書評』などを書いた山村修は、著書『遅読のすすめ』のなかで、こう言っている。
「読むということが、人間の営みの一つであるかぎり、それは歩くとか食べるとかいうこととおなじく、私たちの持っている生体のリズムにかかわることではないか。(略)目で文字を追っていくと、それにともないながら、その情景があらわれてくる。目のはたらき、理解のはたらきがそろってくる。そのときはおそらく、呼吸も、心拍も、うまくはたらき合っている。それが読むということだ。読むリズムが心地よくきざまれているとき、それは読み手の心身のリズムと幸福に呼応しあっている。読書とは、本と心身とのアンサンブルなのだ」(第一章 ゆっくり読む P32~P37より)
藤沢作品を読んでいるときの感覚は、まさにこれだった。
そして読み終わったあとも、アンサンブルの幸福感は続く。
用事があって家を出て、「ああ、よかったな」と思い出し、幸福感に浸りながら自転車のペダルを漕ぐ。
そしてペダルを漕ぎながら、「よかったなぁ」と思い出す。
ペダルのリズムまで呼応して、読後の幸福感は続いていく。
ところで、藤沢周平中毒の立川談四楼は、巻末の【海坂藩の地図】で、中毒者らしいことを語っている。
「私は未読の藤沢作品を数冊残している。すべて読んでしまったあとの淋しさを考えてのことである」
自分もそういう思いで藤沢作品としばらく距離を置いていたが、例の幸福感に抗しきれず「静かな木」を手に取った。
岡安家で可愛がっている赤犬のアカが鍋にされた。
岡安甚之丞は、親友の野地金之助と絶交し、金之助と妹・八寿の婚約も破談。
金之助が「犬鍋をやるから喰いにこい」というので、甚之丞は喜んで食べにいったのだが、食べ終わったあとで、「いま喰ったのは、貴様の家のアカだぞ」と告げられたのだ。
飼い犬が鍋にされ、しかもそれを喰ってしまうという衝撃的な出来事で始まる物語だが、全体的にユーモラス。
アカ鍋事件の結末に、金之助の誠実で意地っ張りで滑稽な人柄を見た八寿の心は、たちまち親近感と幸福感に満たされる。
その幸福感は読む側にも伝わってきて、幸せのお裾分けをもらった気がした。
祖父・十左衛門と老犬アカの、微妙な距離感の思い出も快い。
隠居の布施孫左衛門は、婿にいった邦之助の果たし合いを知った。
その相手は、かつて孫左衛門に不始末を助けられたあと、中老になった愚物・鳥飼郡兵衛の息子である。
孫左衛門は、過去の真実を脅しの種に、郡兵衛に果たし合いの停止を求めた。
葉の散った老欅を自分に重ね、気力の落ちた孫左衛門の再生物語。
果たし合いの一件から思わぬ活力を得て、若葉が芽吹く老欅も悪くないと思い始めた、心境の変化は清々しい。
ところで、孫左衛門とともに郡兵衛の不始末の尻ぬぐいをした寺井権吉も、過去の真実を知る一人。
その彼を襲う刺客に、見事きまった寺井の手詰めも気持ちいい。
本藩海坂藩と支藩海上藩の間で、百年以上も前から続いている境界争い。
年に一度、両藩からしかるべき人物が選ばれ、掛け合いの論戦が展開される。
海上藩に属する片桐権兵衛は、その堂々たる体躯と、人並み外れた寡黙さが相手方を圧倒するという理由で、代表に選ばれた。
ところが権兵衛の顔色はひどく悪く、それを聞いた妻は青ざめた。
偉丈夫の片桐権兵衛が顔色悪く、妻が青ざめる理由を言ってしまいたい。
しかし、これが物語の面白さにつながっているので明かせない。
こんなに面白いのに話せないもどかしさ。
権兵衛が、この大役をどう果たすのかが見ものである。
ところで、支藩の海上藩が描かれたのは、この作品だけだろうか。今まで読んだ作品では見ていないが。
ちなみにこの作品が、藤沢周平最後の短編らしい(巻末【海坂藩の地図】より)
岩崎哲也著「都市の樹木433<ポケット図鑑>」を読んだ。
実物との比較観察する楽しみが沸いてくるポケット図鑑。
お気に入り度:★★★★
433種類の都市に自生、植裁されている緑化樹を掲載したポケット図鑑。433種の中に別名や近似種などが含まれているため、実際のタイトル項目は283種。
本書は樹木の観察がテーマ。葉や樹皮、実などの写真、手触り、匂いの特徴など、さまざまな特徴が図鑑を楽しんでみていた子供の頃を思い出させてくれる。
せっかくワクワクした気持ちが沸いてきたので、この図鑑を持って市の運営する公園まで歩いてみることにした。
家を出て国道沿いを北に歩き始めると、背の高い木が並んで立っている。早速、この図鑑を開いた。
黄緑色の若々しい葉には四つの角があり、戦国武将の兜飾りのようだ。この特徴的な葉を探すと、『ユリノキ』と分かった。そしてこの街路樹にはチューリップのような花が咲く事を知った。
ユリノキが国道沿いに並んでいる。
ユリノキの葉
ユリノキ並木の国道から西に折れ、公園に続く道を進む。この道は公園までイチョウ並木が続き、秋になると黄金の道が開通する。イチョウの足下にはアジサイが隙間なく植えられて、道が金色に染まる前に、雨に輝く宝石を堪能させてくれる。
イチョウ並木とアジサイ
この道のイチョウは、どれも雄株らしい。本書に雄雌の区別が記載されているが、見た目での判断は困難なようだ。そこで、花の時期に区別するか、銀杏が落ちていれば雌であり、その場所は地面の香りで分かることが多い、との助言があり、記憶を辿るとこの並木には銀杏が落ちていたことはなく、実の処理がいらない雄木ばかりを植えた可能性がある。
ところで、このイチョウに限らず、近所の街路樹の多くは、桜を除いて、たびたび枝が切り払われ、丸太並木のようになっている。ユリノキ、イチョウ、ケヤキ、どれも秋冬は丸太で、初夏以降には辛うじて丸太に葉が生えているような、奇妙な景観になっている。おそらくイチョウの実の後処理のように、落ち葉の処理が大変なために、枝を落としているのだろう。
本書には、『都市樹木の効果効用』については言及しているものの、落ち葉処理、木の実の処理、樹木が倒れるなどの都市生活へのデメリットの記述はなく、その点が残念だった。
枝が切り払われたイチョウ
市の公園に着いた。ここは樹木に名札がついており、答え合わせができるのがいい。
早速、入り口にある丸みを帯びたハート形の葉の木を調べた。『カツラ』の木らしい。名札を見る。正解。似たような葉の形の樹木に『ヒュウガミズキ』と『トサミズキ』があったが、葉脈の模様が違い、木の形も違うので判別できた。
カツラの葉
そのほか、『ユズリハ』、『コナラ』、『メタセコイア』、『ケヤキ』などを確認したあと、きりがないので名前調べは終了。
丘の上に立つケヤキ
天をつくような高さの三角形の形が印象に残るメタセコイア
秋になると葉は赤く染まる
樹木の名前調べをして気づいたのが、背の高い木の場合、葉や花などは上の方にあり、その形や模様が確認しづらいこと。本書では細かい観察のために、ルーペの使用を勧めているが、高木を観察するには、双眼鏡が必要のようだ。
今回出かけたのは5月12日。若葉の季節。本書に掲載の、葉と若葉の見た目の印象が違う場合があることにも気づいた。加えて、高木の場合、葉を見るのに見上げると日の光に透けることが多いので、さらに印象が変わる場合もある。そうなると似たような葉の木を探しつつ、樹皮、花など別の特徴も併せて調べる必要がでてくる。この季節の観察は、そういう面倒がある反面、さまざまな情報を総合して判断する楽しさと、それが自然に観察を深くさせて知識となっていく面白さ、本に載っていない特徴の発見など、植物観察の喜びに満ちていると感じた。
ケヤキの若葉
図鑑に掲載されているものと若干見た目の印象が異なる。
本書の使い心地はまずまず。
分類と掲載順が、見た目による見分け方を基本にした掲載順序なのが、使い勝手を良くしている。見た目の近い木が近くに掲載されていることで、似た木のページを探せれば、その近くに目的の木が掲載されているので、探す手間が少ない。
加えて、ページの端に、葉の数・形・生え方、裸子被子、落葉常緑針葉広葉高木中木低木などの情報が、アイコンと共に色分けされて記載されており、検索するのが非常に楽だった。
同じポケット図鑑に『日本の野草300 夏・秋<ポケット図鑑>』、『日本の野草300 冬・春<ポケット図鑑>』があり、樹木の足下の野草を観察してみるのも面白そうだ。
池波正太郎著「剣客商売〈16〉浮沈」を読んだ。
読み終えた今も、剣客商売の世界で登場人物たちが暮らしているような感覚が続いている。
お気に入り度:★★★★
とうとう剣客商売も最終巻まできてしまった。
早く剣客商売を楽しみたい気持ちと、読み終えれば必ず寂しくなるから読みたくないという気持ちを持ちながらページをめくった。
小兵衛は二十六年前、門人・滝久蔵の立会人として、敵討ちの果たし合いに立ち会った。
そこで、相手の立会人・山崎勘助と斬り合いになったのだが、相手はおもいのほか強敵で、巌のような体躯と息もつかせぬ攻撃で、襲いかかってくる。刃にこもるちからに圧倒され、もうだめかと思ったことが何度もあった。しかし、やっとのおもいで山崎を倒し、滝久蔵のほうも仇を討つことができた。
その決闘を、小兵衛は蕎麦屋に向かう船の上でふと思い出していた。
その向かった先の蕎麦屋で、乱暴な浪人者が店で揉め事を起こし、店の主人に店からほうり出された。
この男は、かつて小兵衛が助太刀した滝久蔵だった。
尾行してもらった鰻売りの又六によると、久蔵は陽岳寺という寺へ入って行ったという。
早速、陽岳寺へ向かうと、そこから一人の男が出てきた。
この男は、なんと滝久蔵の助太刀で倒した、相手方の助太刀・山崎勘助に生き写しだった。
過去の敵討ちに関連した二人に、もう一人、小兵衛が道場を構えていたときに、金を借りていた金貸し平松多四郎も関わり始め、物語が進み始める。
敵討ちを果たした滝久蔵、小兵衛に倒された助太刀・山崎勘助の遺児勘之助、元浪人の金貸し平松多四郎、その息子伊太郎。
彼らの示す人生のさまざまな浮沈が、深く印象に残る物語だった。
しかし、どうもいつもの剣客商売らしくない。
物語そのものはいつもの剣客商売なのに、作中、小兵衛は九十三まで生きることを述べつつ、小兵衛のまわりの人はその時どうなっているか、ということを何度も語る。
まるで、これで剣客商売が終わっても変ではない書きぶりだ。
もちろんこの『浮沈』は、最終巻として書かれたものではない。
著者が長生きしていれば、もっと書かれていただろう。
この物語は、小説新潮に1989年2月号から7月号まで連載された。
そして池波正太郎が急性白血病で亡くなったのが、1990年5月。67歳。
奇しくも、この作品での小兵衛の年齢は66歳から67歳だった。
先日、母が、秋山小兵衛が目眩に襲われて倒れた前巻『剣客商売〈15〉二十番斬り』を読んでいたとき、同じように目眩を起こして、数日間横になっていた。
その後、体調が回復し、「目眩を起こした小兵衛の描写は、なった者でなければ書けない」と言っていたことを思い出した。
きっと、池波正太郎も小兵衛のような目眩に襲われ、やがて自分の体に起きている異変を感じ取ったのだろう。
「もう剣客商売は書けないかも知れない……」
池波正太郎は、そういう思いでこの作品を書いたような気がしてならない。
作中何度も、小兵衛は九十三まで生きると書いたのは、自分の分身である小兵衛には長生きしてもらいたいという願いが、知らず知らずのうちに筆に乗ってしまったようにも思える。
* * *
読み終えて寂しくなるかと思っていたがさほどでもなく、剣客商売の世界で登場人物たちがこれまでのように暮らしているような感覚が、読後も続いている。
残る番外編『黒白(上)、黒白(下)』、『ないしょないしょ』では、その登場人物たちと、懐かしさを覚えながら再会できることだろう。
「オンライン書店ビーケーワン」にて書籍を購入した。
5月17日からビーケーワンは電子書籍サイトhontoと一つになるそうだ。
それにともない、私が書評を投稿しているビーケーワンの書評ポータルは閉鎖されるようだ。非常に充実していて、いつも楽しみにしていたのに残念だ。
そういうことで、ビーケーワンで最後の購入をすることにした。
星新一と藤沢周平も、未読の本が少なくなってきた。もう新しい作品がでることもなく、読み切ってしまうことが寂しい。そういう気持ちがあって、未読の本にも手が伸びずにいたのだが、読まずにいると、やっぱり二人の文章を読みたくなってしまった。
水木しげる伝は、水木しげるの生涯を描いたマンガだ。以前読んだ『のんのんばあとオレ』は、妖怪の関係を決定づけた少年時代を描いた作品で、悲しくも心の栄養が詰まったマンガだった。この水木しげる伝も、きっといいマンガに違いない。
| No. | 著者 | 作品名 | 書評 |
|---|---|---|---|
| 01 | 水木しげる | 書評を読む | |
| 02 | |||
| 03 | |||
| 04 | 星新一 | 書評を読む | |
| 05 | 書評を読む | ||
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| 07 | 書評を読む |
内田百閒著「第一阿房列車」を読んだ。
たくさんの喜びが詰まった、何の得る所もない阿房列車の旅。
お気に入り度:★★★★★
あ-ほう-れっ-しゃ【阿房列車】
何の用事もなく、何の得る所もない列車旅のこと。
阿房列車では、見聞を広めてはいけないとされる。
* * *
「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」
こうして内田百閒先生運転する第一阿房列車が発車した。
運転士の百閒先生は、用事がないから気が楽だ。
気の毒なのは車掌役の“ヒマラヤ山系君”である。
百閒先生は、動悸持ちで結滞屋で、長い間一人でいると胸先が苦しくなり、手のひらに一ぱい冷や汗が出て来るというのに、阿房列車を運転したいがために、ヒマラヤ山系君の同行を願い、にも関わらず、丸でどぶ鼠だの、熊の子に洋服を着せた様だの、宿屋でむさ苦しい部屋と貧相なお膳だったのは、山系君が死んだ猫に手をつけてさげた様なボストンバッグを持って来たからだ、と散々だ。
ヒマラヤ山系君は国鉄職員で年来の入魂なのだそうだが、大阪行きの特別阿房列車を始め、静岡、鹿児島、東北、すべての旅に随行し、万事の手配に奔走する。
そういうことでは山系君は用事だらけであり、阿房列車を満喫しているのは百閒先生だけのようなのだが、先生いわく「朦朧とした癖に、全国に知り合いがいる」山系君であり、先生の我儘につき合うほどだから、意外に阿房列車の旅を楽しんでいるのかも知れない。
ところで、山系君がこれほど仕事を休めるのも不思議(その理由は解説で察せられる)だが、名前も不思議だ。もちろん本名ではない。
百閒先生が、鹿児島阿房列車車中でヒマラヤ山系君の見てくれに注文をつけたのに、その秘密があるように思うので、そのやり取りを少し引用してみる。
今まで東海道本線の右側を走っていた桜木町線の電車が、東神奈川に近づくにづく前から弧線で本線の左に移っているので、カアテンを片寄せた窓越しに上り下りの電車が走っているのが見える。電車の燈火の色が変で、赤茶けて、ふやけている。それを見た目で車室内へ戻すと、明るくて美しいと思う。
「蛍光ランプのあかりで見ると、貴君は実にむさくるしい」
「僕がですか」
「旅に立つ前には、髭ぐらい剃ってきたらどうだ」
「はあ」
「丸でどぶ鼠だ」
「僕がですか」
「そうだ」
「鹿児島へ行ってから剃ります」自分で鼻の下を撫でて、「そうします」と云い足した。
暫く散髪にも行かないと見えて、頭の毛が鬱陶しくかぶっている。襟足が長いので、その先がワイシャツのカラの中に這入って、どこ迄続いているか、外からは解らない。熊の子に洋服を着せた様でもある。胴体は熊で、顔はどぶ鼠で、こんなのはヒマラヤ山の山奥へ行かなければいないだろう。
どうやら『ヒマラヤ山にいそうな系統の人物』ということらしい。
ヒマラヤ山系君の名前の由来に納得しつつ、明るくて美しい車室内に感嘆したあと、ヒマラヤ山系君のむさくるしさを語るさまは、可笑しくてたまらない。
こういう二人のとぼけた会話は全編に続いて、阿房列車の旅はどこまでも楽しい。
旅のそこここで漏らす、百閒先生のユーモアも健在だ。
例を挙げたらきりがないので少しだけ。
「私はまだ起きてから顔を洗っていない。何十年来同じ顔を洗っているけれど、別に綺麗にもならず段々ふるくなった計(ばか)りである」
「東京を立つ前に、秋田へ行ったら、しょっつる鍋に、きりたんぽを食えと云うだろう、向こうでそう思っている物は食ってやらないと思った」
「こないだ内から、抜けかけた前歯がぶらぶらしている。帰ってくる迄にどこか旅先で抜けるだろう。行く先は鹿児島だから遠い。鉄路一千五百粁、海山越えてはるばる辿りついたら、折角のことだから、抜けた前歯を置き土産にして来ようか知ら。(略)舌の先で押してみたら、思ったより大きく動いた。行き著く前に落ちない方がいいから、そっとしておく」
ぶらぶら前歯の顛末は、東北本線でも楽しませてくれた。
「僕は体裁屋である。車中ではむっとしてしましていたい。そこへ発車前にお見送りが来ると、最初から旅行の空威張りが崩れてしまう。僕は元来お愛想のいい性分だから、見送りを相手にして、黙っていればいい事を述べ立てる。それですっかり沽券を落とす。どうでもいい事で、もともと沽券も格好もあったものではないのだが、そこが体裁屋だから、僕の心事を憐れんで、見送りには来ないで下さいと頼んだ」
毎度の見送りを目論む夢袋さんに恐縮してのことだと思うが、それを自分の我儘ということにしてユーモラスに見送りを断るところが、たまらなく愛おしくさせる。
* * *
何の用事もなく、何の得る所もない阿房列車の旅だけれど、たくさんの喜びが詰まった阿房列車はいいものだ。
阿房列車は、他に『第二阿房列車』、『第三阿房列車』が運行中のようなので、折を見て乗車したいと思う。
特別阿房列車(東京―大阪)
区間阿房列車(御殿場線国府津―沼津―由比―興津―静岡)
鹿児島阿房列車(呉線尾ノ道―広島―博多、肥薩線鹿児島―八代)
東北本線阿房列車(福島―盛岡―浅虫)
奥羽本線阿房列車(青森―秋田、横黒線横手―山形―仙山線松島)